第9号
生徒作品 「記憶と思い出」その1
早いもので夜間中学が始まって、一年近くが経とうとしています。生徒たちは毎晩6時30分から9時30分まで勉強をしています。後期は数学、英語、日本語、理科、社会、体育・家庭、美術・書道、音楽を学んでいます。今号は日本語の授業で書いた「記憶と思い出」の中から何人かの文章を紹介します。
「父との思いで」 S・Aさん
四才の頃父と行った畑の思いで。元気でいっしょうけんめいに働く父のすがたが今も私の一番の思い出です。
畑に行くといろいろな虫がいっぱいで中でもたーんむの葉に入る虫は大きくて見るだけでこわかった。畑仕事を済ませた父が、「かずこもう家に帰るよ」といい私はあそびつかれて父に「おぶって」と言うと父はくわやかまが有りおぶる事が出来ないのでおーだー(天秤棒)のかたほうにのってねむってしまい目がさめたら家についていました。
「おじいさんとの古い記憶」 Z・Hさん
おじいさんはとても器用で色々な物を作り、あだんばムシロも作りました。ムシロを作るには二人でないと出来ませんので、私が手伝いました。ムシロを作る道具には小さな穴が有り、細いなわを通して、なわの間から材料をくぐらしてから、二三回たたくと少しづつ形が出来て、仕上げた時には立派なムシロが出来上がりました。
おじいさんが真心こめて作ったムシロは新しいにおいがして、寝ごこちのよいムシロが 出来ました。
「むかしの記憶」 E・Uさん
私が九才の時にせんそうがありました。その時に私と妹二人は親とはべつのところに、ひなんしていました。その時に人声がしたので父さんとおもってふりむいて見たらアメリカへいでした。
それから後私たちはほりょになりましたが、たくさんの人たちとならんで歩いている時にすきを見て草むらにかくれてにげました。しばらくしてから父さんが私たちをさがしているのが遠くから見えましたが、父さんとよびたくてもこわくって声もでません。夜になるのをまって親にあって家に帰りました。
せんそうの時のきおくです。
「夜間中学校にはいるまえの私」 T・Iさん
二〇〇三年に、娘が新聞をみて「お母さん、夜間中学があるよ行ってみない」「ええ、ほんと」小学校もでてない私なのに入学できるのかなと言ったら、娘が「電話をしてみようか」といって電話をしてくれました。「お母さんOK。よかったね。」私はとび上がるようなうれしさだったことを、きのうのようにおぼえています。
それからしばらくして二〇〇三年の十二月三十一日にかぞくで日光にいきました。年があけ二〇〇四年一月一日、東照宮でおみくじをひいたら「安心してべんがくせよ。」とかいてありました。とてもうれしかったです。
しかし何か月かまつあいだ、ふあんがいっぱいになりました。もういくのをやめようかなとおもったこともありました。いまがチャンス、これをのがしたら二どとチャンスがないのでがんばろうとおもいました。
二〇〇四年四月十七日、まちにまった入学式、きょうしつにむかうあいだ足のふるえがとまりませんでした。あれから一年になります。今では仲間もでき、たのしく勉強しています。
「父の背」 O・Wさん
戦前、父さんは間借りをして紳士服の仕立を仕事にしていました。
大きな一間の窓にはアミエビを干してある籠がありました。窓際にはミシンがあり、その上には木炭アイロンが置いてありました。
お客さんに対応する、父の背中に四才の私と幼い妹は父の肩に手を掛けて、二人の話を聞いていました。
「字を形よく書きたい」 R・Kさん
私は字がかけないです。だから字をおぼえるためにさんごしゃすこーれに入学しました。おかげさまでかなはかけるようになりました。私はよみかきさへできたらうれしいです。字が上手になりたいです。どうか先生がたおしえてください。私はさんごしゃの先生がたにおしえてもらってほんとにかんしゃしています。いまではかなもかけるようになりました。つぎの私のもくひょうはかん字をおぼえることです。かん字のよみかきができるようになりたいのです。これからもかん字をおしえてください。ひとまえでもじしんをもってかきたいです。よろしくおねがいします。
「おさないころのおもいで」 J・Sさん
わたしが5さいくらいのとき、小さいおとうとと2人で、なんようから沖縄にかえるふねにのりました。ふねはとても大きくて、中もひろかったようにおもいます。小さいわたしにはまどの外もみえず、ひるなのかよるなのかわからなくて、どれくらいふねにのっていたかもわかりません。ふねの中には、大人も子どももとしよりもたくさんのっていました。沖縄につくまでのあいだ、おとうとのせわはまわりの人たちがしてくれました。
沖縄につき、ふねからおりるときには、わたしはしらない女の人に手をひかれ、おとうとはだっこされていました。みなとにはおじさんがむかえにきていました。