「自画像」 高等部 N.S.
正方形のマスが並んでいる。大きいものや、小さいもの、枠線の濃いものや、薄いものなど様々だが、決して途切れることなく正方形は続いている。そこに、一つ一つ文字を入れた。きれいに、間違いのないように、はみ出さないように。そうやって書いてきた文字が見える。はじめの頃にあった無邪気さがだんだん汚れて、中味が空っぽになった字に変わっているのがよく見える。うまく書こう、きれいに書こうとして、大切なものをいっぱいこぼしてきてしまった。
隣の紙を見る。同じようにマスが並んでいる。でも、字はおさまりきれずにマスからはみ出しているし、お世辞にもきれいとは言えない字だった。それなのに、何故か美しかった。愛おしかった。
はみ出してもいいんだ。きれいにならなくてもいいんだ。汚い字をくしゃくしゃに握りしめて真っ暗な空の下にたおれた。今までぬり固めていたものが、ガラガラと崩れる音がした。私も本当はこんな字じゃない。本来の私はどこに行ったんだろう。ずっと見つからなかった。髪の先に触れることはあっても、手をつかむことはできなかった。本棚の奥でほこりまみれになって自分を探していた。そんな時に誰かが言った。
「自分らしさは変わっていくんだ」
必要なのは理想の自分を過去から探すことじゃない。今の汚い自分をどう美しくしていくかなんだ。汚い自分を、きれい事でぬり固めない生き方をしたい。変わっていく自分を大切にしていきたい。
「自画像」 高等部 O.H.
中学の時、僕は「相手の痛みが解る人」になりたかった。誰かの痛みに寄り添う事で自分の存在を近くに置いておけると思っていたから。でも痛みを知るためにはその相手に近づかないといけない、そう思って次は「相手のことが理解できる人」になろうとした。でもそれは自分が何をしたいのかがもっと曖昧になるだけだった。
何かをしようと考えるだけで自分の足を動かすことを僕はしなかった。足元だけを見つめていたから、自分がどこに立っているのかは分かってもどんな所に立っているのかということに目を向けなかった。人に支えられていることを自覚しながら、その人達の一人一人に目を向けなかった。
踏み込むのが怖かった。いつかは終りが来るものと思っていたから、溢れる程の友情や愛情があってもどれだけ時間をかけても終わる時は一瞬だと決めつけていた。だから人と関わることが嫌になって一人になりたくなった。でもそれを周りの環境は、世界は許さなかった。どうしても自分と言う存在には親がついてきて兄弟がついてきて学校というものがついてきて義務がついてきたから。
珊瑚舎での生活はそういう学校生活とは違ってとても色鮮やかだった。見たことのない景色、聞いたことがない音、感じたことがなかった感情、色んなものが自分の中に入ってきて生まれて、戸惑うこともあったけど知らない自分に出会えることが楽しかった。
自分という存在を追っかけていたらどれだけの人に支えられ恵まれてここまで来たのかを知った。僕は知らなかった。怖いと感じていた世界が勇気を出して踏み込めば、とても優しく自分を迎えてくれることを。僕は知らなかった。言葉を探して悩みながら文章を書くことがこんなに楽しい事を。意見をぶつけ合うことが授業ではとても大切だということを。サバニを漕ぐのがあんなに疲れるんだということを。僕は知らなかった。帰るとき「バイバイ」って言われるとちょっと寂しくなることを。「また明日」って聞くと少し嬉しくなることを。僕は知らなかった。自分から「さよなら」を言うことがこんなに心を締めつけて苦しくさせるということを。
教えてくれてありがとう。気付かせてくれてありがとう。学ばせてくれてありがとう。自分が何を知らないのかを知って次は「自分のことが解る人」になりたい。何が好きなのか、なんで好きなのか、何が苦手なのか、なんで苦手なのか、少しずつ、ゆっくりOHという人間として生きながら自分という存在を形づくっていく。
※イニシャルに換えて記載しています